>植民地であった韓国からいろいろと賠償請求が出てきていますが、戦争もしていないのに何故何度も謝罪や賠償を求められるのが理解できません。
日本は、朝鮮の要請を受け入れて併合したのであって、日本が侵略して植民地にしたのではありません。
安易な用語の使用は相手に誤解されたり、あげ足を取られる原因になります。
併合は両国の合意による合法的かつ平和的なものであり、これらは当時の世界も認めています。
なので、WW2でも連合国は、韓国を戦勝国とは認めていません。
併合時の統治も賠償が必要な程の酷い事はしていません。
よく言われる、侵略による植民地支配、強制連行、創始改名の強制、ハングルの禁止は捏造です。
(これらの件は質問から外れるので詳細は説明しません)
それに、日本より酷い統治を植民地統治をした欧米ですら、植民地への賠償などは一切行っていません。
↓のように、当時はそれが常識でした。(私の回答はNo2です)
【戦後の西欧列強からの独立国の賠償請求について】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8258519.html
また、日韓条約で「日本は韓国に賠償をした」とか実質的な賠償であるという意見がありますが、間違いです。
この条約で支払ったのは、今まで一つの国だったので、先延ばしにしていた貸し借りの清算と、韓国による竹島侵略時に拿捕された漁民の身代金です。
これは賠償とは全く違うものです。
>実際のところ太平洋戦争もしくは満州事変で、植民地下の朝鮮人の人は徴兵され、戦地に赴いたのでしょうか。
>また戦死者もいたのでしょうか。
>特攻隊員はいたのでしょうか。
回答1
戦時中も朝鮮人への徴兵は終戦間際まで行われていません。
そして、徴兵された者は訓練中に終戦を迎えています。
朝鮮人の特攻隊員ですが、
金尚弼:1945年宮崎県より第5編隊長として沖縄に出撃 戦死 24歳 2階級特進で大尉
卓庚鉉:1945年振武隊 第7次航空総攻撃として沖縄に隼にて出撃 戦死 24歳 2階級特進で大尉
崔貞根:1945年、沖縄戦で敵駆逐艦に体当たりし戦死 二階級特進で少佐
林長守、朴東薫、河東繁伍長、李充範曹長、木村正碵伍長、広岡賢哉伍長、金田光永伍長、石橋志郎少尉、韓鼎実(清原鼎実)伍長、
特攻ではありませんが廬龍患(河田清治)少尉
二式戦闘機(屠龍キ・45)で御前崎でBー29編隊長機に体当たりし撃墜。
志願兵は募集していましたが、数は6000人で多くありません。
当時の彼らは、列強の一等国である日本人なれたことを喜んでおり、その6000人の枠に30万人が応募していました。
(現在では、戦時中の朝鮮人は日本の支配に抵抗して連合国と共に抗日戦争をしていたとか言っています。)
軍人以外には軍属(例:従軍看護婦とか記者とか)という者がいて、朝鮮人の軍人軍属は24万2,341人いました。
彼らは朝鮮内の後方勤務にまわされており、実際に前線に出されたものは極小数です。
後方に回されたのは、兵士として使い物にならなかったからだという理由もあります。
それについては、アメリカも同意見のようです。(むしろアメリカの評価の方が酷いです)(動画も参照)
捕虜収容所の職員になったものもいましたが、↓のように、連合軍捕虜からの彼等の評判は非常に悪かったらしいです。
志願兵ですら↓のような有様では、意に反して徴兵された彼らが何をするかわかったものではありません。
徴兵しなかったのは賢明だったと思います。
実際、東京裁判で捕虜虐待などで処罰された者の多くは朝鮮人(当時は日本人)で、それまでが日本人の行為と世界に思われてしまっています。
グレゴリー・クラーク(多摩大学学長)
オーストラリア兵捕虜のほとんどは、収容所の番兵だった朝鮮系日本人に対する憎悪があり、日本兵は捕虜をなぐるくらいだったが、朝鮮人はありとあらゆる陰湿で執拗な残虐行為を行っていた。日本兵は朝鮮系に比べはるかにましだったことは、連合国捕虜の間では常識だった。
【ニッポンは誤解されている】(元仏の雑誌特派員 アルフレッド・スムラー著 日本教文社)
「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない」
これらの朝鮮人BC戦犯を擁護する行動を、日本の左翼がしていた事が信じられない。
朝鮮人が日本人に比べて、ずっと残酷だったことは、連合国の捕虜の間では常識だった。
【日本軍は香港で何をしたか】(中国人 謝永光著)
(朝鮮人は)一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。
当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。
【あっぱれ日本兵】(ケニス・ハリスン(豪州人)著)
彼ら(朝鮮人)は(日本人に比べ)大型で、顔は平たく、知性に劣り、日本人が与えた屈辱を我々に転嫁した。
どんなに試みても、我々は彼らと本当の付きあいは確立できず、体罰となると、日本兵よりも彼らをはるかに恐れた。
【キヤンガン、山下将軍降伏の地】(ある医師の述懐)
山では仲間どうしの信頼関係が全てだ。韓比日の3人で風雨の中、ピークを踏む寸前のこと、小休止のときアンがコリアンと知らないフィリピン人の彼が言った「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。
赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」一気に遭難しそうになったパーティを何とか支えつつ、私はキアンガンの将軍の亡霊を見たような心持だった。その后も各地でこの噂のような言説をきくたびに、愛国者たるアンの胸中が想われてならない。
【朝鮮軍司令部1904‐1945】(古野 直也)
朝鮮人は李朝末期以降、神に近い特権を持った白人を見た歴史をもっていたがここへ来て、心理的にも白人崇拝の観念は消えたらしい。消えたのはいいのだが、困ったことも起きて戦後まで尾を引いている。
東南アジアから超銭まで捕虜収容所の警備員として朝鮮人三千五百人が従事していた。弱者に残虐性を発揮する民族性のゆえか、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れてやっていたらしい。敗戦後、個人的恨みで戦犯に問われ、死刑その他重刑を受けた例が少なくない。白人こそ報復と復讐の大家だったのだから。
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